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9月21日 礼拝 説教原稿

  • shimokitazawanazar
  • 9月22日
  • 読了時間: 11分

9月21日 教会の一致と交わり マタイ18章10~20節


①小さい者を軽んじないように

おはようございます。9月第3週となりました。来週は召天者記念礼拝となります。本日の冒頭には今日の箇所を象徴する言葉が書かれています。それは小さい者を軽んじないということです。

 マタ 18:10 「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。」

 私たちは外見で人を評価することがあります。以前アメリカの神学校にいた頃、1983年から1986年なので圧倒的に男性の神学生が多い時期です。その中でも女性の神学生が何人かおりまして、彼女たちは自律精神が強く、女性牧師の権利を重んじる集会にでたことがあります。そこで一人の方が自分の経験談として話してくれました。

 「自分用の車を自分のお金で購入しようとしたのですが、販売店の方が来られていろいろと説明をされるというのです。でもその時に、その人は彼女の方ではなく、彼女の夫の方をみてずっと説明するというのです」。彼女はこう言いました「車を購入したのは自分で車を使うのも自分なのに、なぜ、この販売員は自分の方でなく夫の方を向いて説明しているのか。何か自分が無視されたことを感じた」と言っていました。まさにこの人は軽んじられたのです。

 これは、たとえを変えると、いろんな場面でそのようなことがあるのかもしれあません。またそれは一般社会だけでなく教会でも起こり得ることですね。


②たとえの背景

この箇所をとりつぐ為に確認しておきたいことがあります。それはこのたとえが語られた背景です。この箇所の前には弟子たちの誰が一番偉いか論争があります。弟子たちはこの時まるでイエスさまのことがわかっていませんでした。まもなく十字架にかからなければならない大事な時です。イエスさまは孤独の闘いを繰り広げておられました。しかし、これから教会を背負っていくべき弟子たちはそのようなイエスの気持ちもわからずに誰が一番偉いか論争を繰り広げているのです。イエスさまはさみしかったでしょうね。まさに軽んじられている状態でした。それでマタ 18:10 「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。」と言われたのです。


③見失われたか、迷いでたか

 実は、同じ羊のたとえがルカによる福音書15章3~7節にもあるのですが、ルカの表題は「見失った羊」となっているのです。ルカのキーワードは「失われた者の救い」なので放蕩息子は「見失われた息子」となります。その失われた者がいかに救われるかがルカの視点です。

 一方マタイは「迷いでた羊」です。これはまたこの物語を見る人の視点の違いでもあるかもしれません。マタイは、おそらく、弟子たちの地位争いを揶揄する意味で、お互いの争いをすることは迷い出る人を作ってしまうことなのだよと言っておられるのかもしれません。

 いずれにせよ、この人に何かがあったことは事実です。この物語は、その人が失われたか迷いでたかにかかわらず、小さい人をつまずかせないという文脈の中で語られたたとえであることをしっかりと受け止めたいと思います。

 

④あなたがたの中に

マタ 18:12 あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残して、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。

マタ 18:13 よく言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。

マタ 18:14 そのように、これらの小さな者が一人でも失われることは、天におられるあなたがたの父の御心ではない。」

 これが本日学ぶ最初のたとえです。まずこのたとえは問いで始まります。「あなたがたはどう思うか」です。イエスさまは、弟子たちに反省を促しているかのようです。もし、そういうことが起こったならば、「九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか」、誰でも当然そうするだろう、とおっしゃったのです。


⑤99匹の羊は守られることが前提の物語

 実は、これがこの物語の鍵となるのではないかと思います。主イエスは、ここで99匹を野原に残して1匹を見つけ出すまで探し回ると言われていますが、それは決して当然ではないと考えます。通常、私たちは一匹をさがしまわっている間に99匹はどうなるのかと心配するのです。野獣に襲われることもあるでしょう。だからむしろ99匹を守ることの方が優先事項ではないかという考え方もあるのです。

 しかし、この物語を読む上で大切なのは99匹のことはあまり考慮に入れられていないのです。99匹の安全は確保されているというのが前提なのです。羊飼いの仲間がいて羊をその人たちが守っていることが想定されているのかもしれません。いずれにせよ、残りの99匹は神さまが必ず守ってくださるのだから失われた一匹に集中しようよということであるようにも思うのです。


⑥99匹を大切する一般的な社会の考え

 今私は塩野七生さんの大著「ローマ人の物語」を寝る前に読んでいますが、塩野さんはこう語られるます。「迷える一匹の羊を探すのは宗教の問題であり、九十九匹の安全をまず考えるのが政治の課題である」。まさにその通りだと思います。この世は多数、九十九匹を大事にする。民主主義とはそういうものであり、政治の目標は全ての人に機会を開き、幸福追求の自由を保障することです。しかし、その過程で切り捨てられる人がいる。そして成功者を称える社会では失敗者は省みられない現実があります。

 私は最近本当によく物をさがします。一番探すのは携帯かもしれません。今一番なくなてはならないものは、私にとっては家族や教会の皆さんと言いたいのですが、現実問題として携帯とパソコンがなければ一日も生きていけません。

 携帯を必死になって探すのは、それがないとコミュニケーションがとれないし、自分の居場所も知らせられないという現実的な理由からですね。自分にとってそれが必要ならば探しますが、そうでないとあきらめたりします。でも宗教はあくまでも最後まで失われた一匹の羊にこだわるのです。


⑦主イエスの理由

 ですから、この話はそのような自分にとって失ったものが重要であるかどうかの話ではなさそうです。イエスさまの関心は、一匹の羊の値段がどれくらいしたかではありません。一匹の羊を、小さい者の一人としてどれだけ尊んでいるかが問題なのではないでしょうか。

 主イエスは、私たちがその小さき者の為に祈り、最後まであきらめずに祈り続ける時に、神さまも同じなのだということを示してくださるのです。神さまも自分の大切なものが失われていく時に、それでいいやとあきらめるのではなく、探し、見つけ出し、連れ戻そうとしてくださるのだということです。見失った一匹の羊を探しに行く場所だ」とルカは強調します。迷える一匹の羊を追い求めていくのが教会です。教会の価値観はこの世とは異なるのです。


⑧小さい者を軽んじない理由 ①

 ここでもう一度原点に戻って、イエスさまが出て行った羊のたとえ話の前に語られたことに注目しなければなりません。ここにある理由はとても興味深い理由です。

マタ 18:10 「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。

 小さい者とは、教会の中で配慮と助けを必要としている者を指します。人はある時は牧師や信徒の言葉につまずき、別の時には自分の問題で、教会に来ることが出来なくなり、教会の群れから迷い出た状態になります。そのような時はなおさら、その人の魂を傷つけないように配慮することが必要なのです。皆さんの存在や魂は神から与った存在、魂ですから、軽んじることはできません。本日、この聖書を読んで皆さんお気づきだと思いますが、11節がないのです。


11節の欠如の問題 失われた者を救うために軽んじない

 ところで、私たちの聖書は、なぜか11節がありませんね。それは聖書の原点にないから訳されたなかったのです。それを別の聖書では以下のように訳しています。

18:11(異本 底本にはない部分)「人の子は、失われたものを救うために来た。

 この言葉がもし正しければ、小さい者の一人を軽んじないのは、イエスさまご自身が失われた者を探すために来たのだから、私たちもその模範に従いましょうという理由となります。ただし、先ほども申しましたように失われたものというのはルカに特有の表現なのです。マタイは自分から迷いでた者なのですからあまりあいません。でもイエスさまのあくまでも失われた者を追い求める姿勢は私たちも大切にしなければなりません。


⑨小さい者を軽んじない理由 ②

18:12「言っておくが、彼らの天使たちは天にあっていつも、天におられる私の父の御顔を仰いでいるのである。?」

 これが第2の理由です。でも、このことばは、わかりにくいことばですよね。一体、彼らの天使とはどういう天使たちなのでしょうか。彼らの天使ということは、これらの小さい者の背後にいる天使ということになります。「その天使たちが父の御顔を仰いでいる」とは、その人の背後にあって祈っているということでしょう。そうなのです。私たちにとってすべての人は祈られている存在であるということです。だからこそ軽んじてはならないのです。つまずいているその人も、失われて出て行ったその人も祈られている存在なのです。


⑩解決法 祈り続ける

 そして天にあっても父の御顔を仰いでいるとことについてさらに、触れているのが、18節からの大切なみことばです。

 マタ 18:18 よく言っておく。あなたがたが地上で結ぶことは、天でも結ばれ、地上で解くことは、天でも解かれる。」

 まず18節には祈りを結ぶことが記されています。それは小さき者を教会や神に結ぼうとする私たちの行動や思い、そして祈りです。でもその祈りを解いてしまうならば天でも解かれると記されているのです。今来られていない方の為に私たちはずっと祈ることができます。祈りつつ続けたいと思います。でも途中でそれが解かれてしまったら天でも解かれるのです。

 私たちがどれだけその人を説得しようとしたとしても、なかなか「はい」と言ってくれないことがあるのです。それでもあきらめずに地上で結ぶことが重要だと18節は書かれています。

マタ 18:19 また、よく言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を合わせるなら、天におられる私の父はそれをかなえてくださる。

マタ 18:20 二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいる

 この祈りは、井上富士子さんがいつも祈りを始める時におっしゃる祈りです。


⑪共に祈る恵み

ここで重要なのは、ここで言う二人または三人というのは16節の証人ということですね。

マタ 18:16 聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の人の証言によって確定されるようになるためである。

 下北沢教会は、祈祷会があります。祈りの輪の中に入ることはとても大切なことです。今下北沢教会の祈祷会は10時30分~正午までの一時間半です。

讃美の後、説教がきて、30分~40分、みことばの感想を語り合います。これはかなり、感謝のひとときです。私にとっても、皆さんの感想が直に聴くことができるのですから。祈りの輪がかなり広がってきました。全国から参加してくださるのですから感謝なことです。そこでは皆で心を合わせて祈るのです。共に祈る時に神さまへ恵みを与えてくださるのです。主が真ん中にいてくださいます。

  議論しても、説得しても駄目であっても、その人を恨むことなく、その人のことを思い、祈るならばということです。イ エスさまもその中にいてとりなしてくださるのだということですね。ここには自分一人で祈れとは書かれていないところが重要なところです。祈りの仲間と共に祈ることの大切さです。

 万策つきたとしても上にはまだ可能性があるというのです。


⑫私たちへの問いかけ

 マタイを中心に最近のメッセージは語られてきました。マタイには、徴税人マタイに代表する罪人たちのことが書かれています。弱い一匹の羊として神の前に礼拝する大切な人です。でもその交わりに入るのではなく、批評している人々もいます。弟子たちのように。いつの間にか、誰が一番偉いかを議論し、自分たちの罪を認めず、主イエスに聞く耳を持たない憐れみのない人たちにならないように気をつけなければなりません。

 でも小さき者の視点で考える時に、それはある意味で教会の緊急事態でもあるのです。教会にとって重要なのは出席表ではありません。欠席表なのです。なぜその人が欠席しているのか、そういう視点に立って、裁くのではなく、真実に向き合う心をもって関わっていこうと語られているのです。なぜならば、小さき者の天使たちは天の父の御顔を仰いで祈っているからです。

 私たちはいつの間にか裁く側に立ってしまうことが多いのですね。でもそこには失われた者の帰還を喜ぶ姿はありません。まさに放蕩息子の兄のような立場です。私たちの今年の標語は、愛を分かち合う教会です。そのことを覚えて「見失った一匹の羊を探す教会」でありたいと思います。


⑬ 詩編147篇1~7節

詩 147:1 ハレルヤ。/我らの神をほめ歌うのはなんとすばらしいことか。/賛美は麗しく、快い。

詩 147:2 主はエルサレムを築き/イスラエルの散らされた人々を集める。

詩 147:3 心の砕かれた人々を癒やし/その傷を包む。

詩 147:4 星には数を定め/それぞれに名を付ける。

詩 147:5 我らの主は大いなる方。/力に富み、その英知には限りがない。

詩 147:6 主は苦しむ人々を支え/悪しき者らを地に倒す。

詩 147:7 主に感謝して歌え。/琴に合わせて、我らの神をほめ歌え。


主は、イスラエルの散らされた人々を集め、心の砕かれた人を癒し、その傷を包んでくださいます。そのような主を信じる者として教会の一致と祈りの交わりを大切にして歩んでまいりましょう。

 
 
 

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