12月14日 礼拝説教 先駆者の役割 イザヤ40章1~11節
- shimokitazawanazar
- 2025年12月15日
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12月14日 礼拝説教 先駆者の役割 イザヤ40章1~11節
①はじめに
皆様おはようございます。アドベント第3主日となりました。もう来週がクリスマス礼拝というのはまだ信じられない気がします。でも楽しみでもありますね。本日はイザヤ書からバプテスマのヨハネのメッセージである「呼びかける者の声がする」という言葉を掘り下げて考えたいと思います。
本日の箇所はイザヤ40章ですが、イザヤ書は39章まではヒゼキヤが王であった時代を背景にイザヤが生きていた時代のことが描かれています。ところがこの40章からはイザヤの時代よりも100年も後に起こる出来事、イスラエルはバビロンという国に捕囚になりますが、ペルシャ王クロスが登場し民を解放するのです。そのバビロン捕囚からの解放が語られているのです。ですからイザヤは死んでいますので、第二イザヤが書いたと言われている箇所です。これまでは捕囚における「裁き」が主要なテーマでしたが、これからは「希望」がテーマだと言われている箇所です。
まず1節を読みましょう。
イザ 40:1 「慰めよ、慰めよ、私の民を」/と、あなたがたの神は言われる。
1章から39章まではテーマが裁きだったので「懲らしめよ 懲らしめよ」という言葉が頻繁に登場してきます。ところが、ここから「慰めよ 慰めよ」が中心メッセージとなります。懲らしめの後には慰めがくるのです。そしてその慰めは希望につながります。その証拠にその声音について次の2節で語られます。
②神のメッセンジャーの声音
イザ 40:2 「エルサレムに優しく語りかけ/これに呼びかけよ。/その苦役の時は満ち/その過ちは償われた。/そのすべての罪に倍するものを/主の手から受けた」と。
神さまは優しく語りかけなさいと言われています。ここに、神さまの愛の本質が現れています。私はメッセージする時の声はどうなんだろうかと思います。できるだけ、聖書に書かれてあるメッセージを客観的に語りたいと思っています。たとえば、同じ言葉でも厳しめに語られる時に、私たちは罪をせめられたように感じます。だからこそ、まず優しく語りなさい。これからはテーマは希望ですよと強調されるのです。
その優しく語るメッセージの内容は何だったのでしょうか。それは、イスラエルの犯した過ちが償われたという内容でした。捕囚という憂き目にあい、神は民の不信仰に怒りを表されますが、クロス王を用いて解放してくださった。それが時が満ちという言葉に示されています。そして罪を犯しますが、その二倍の赦しを受けるという内容です。
同じように私たちもイエス・キリストの十字架の犠牲によって罪から贖われているのです。神さまは罪を憎み怒りを示されますが、いつまでも怒りをもった方ではありません。主は思い返されるのです。神さまはその罪を贖ってくださいます。慰めのメッセージが語られるのです。懲らしめの後に神さまは私たちをぎゅっと抱きしめてくださるのです。
子育ても同じですね。厳しく指導はするけれど、その後ちゃんとぎゅっと抱きしめてあげることは大切です。
③その苦役の時は満ち/その過ちは償われた。
同じ一節の中間にこのような言葉があります。「その苦役の時は満ち/その過ちは償われた。」この「苦役」と訳されている言葉は「戦争」という意味もあります。「そのすべての罪に倍するものを/主の手から受けた」と。
戦争が終わる日が来て、償いが起こった民は罪に倍するものを受けるのです。倍するものという言葉の元の意味は「折り重ねる」という意味だそうですが、当時貿易商人が、一度支払いが終わったら顧客のドアに半分に折られた明細書をピンで留めて、これが「倍」=半分に折り重ねられたものと呼んだそうです。
つまり、私たちの犯した罪と同等のものを、その罪の折り重ねるように神が支払ってくださった。そのことによって償いは十分に果たされたという意味がこめられています。借金証書が返済完了の印に二つ折りに壁に鋲で留められると同時に、借金と同額が贈り物として与えられるという奇想天外な恵みを指します。その結果、私たちは赦されるのです。その赦された私たちに神さまはメッセージをくださいます。そんな私たちに神は呼びかけられます。
④呼びかける声がする
本日のキーワードは「呼びかける」という言葉です。
イザ 40:3 呼びかける声がする。/「荒れ野に主の道を備えよ。/私たちの神のために/荒れ地に大路をまっすぐに通せ。
民はバビロン捕囚から解放されました。彼らの罪は赦されました。次にやるべきことが3節に記されています。神はあなたを罪の縄目から解放してくださったのですから、その道を整えなさいということです。この道とは主が通られる道のことです。バビロンから解放してくださった主が、道を通って神の都エルサレムに帰って来られます。その道を整えるようにというのです。特にこの言葉は新約聖書に引用されました。
⑤バプテスマのヨハネ
この言葉を聞けば、私はバプテスマのヨハネが浮かんでまいります。 バプテスマのヨハネは毛皮の衣をきて荒野で生活して、厳しいメッセージを語った人物ですね。最近のみことば配信はちょうどバプテスマのヨハネのこの箇所のところです。
ヨハ 1:23 ヨハネは言った。/「私は、預言者イザヤが言ったように/『主の道をまっすぐにせよ』と/荒れ野で叫ぶ者の声である。」
彼は自分の事を「荒れ野で叫ぶ者の声だ」と言いました。その厳しい裁きのメッセージを通して人々の生き方に警告を発しました。その後に来られるイエスさまは、裁きではなく赦しのメッセージを説かれたのです。この時と同じ状況が繰り返されたのです。
私たちの役割も人々をイエスさまの元に導く声になることです。でもバプテスマのヨハネのように人を裁くような厳しいメッセージを語る必要はありません。むしろ、その人に優しくみことばを示してイエスさまのところに導くのです。その時に何が起こるのでしょうか。
⑥ 平地となり、主の栄光が現れる
イザ 40:4 谷はすべて高くされ、山と丘はみな低くなり/起伏のある地は平らに、険しい地は平地となれ。
イザ 40:5 こうして主の栄光が現れ/すべての肉なる者は共に見る。/主の口が語られたのである。」
当時、その国の王様が旅をする時にはその行く先々に先遣隊を遣わして、道を整えました。道を広く、大きくし、まっすぐに、平らにしました。4節に「起伏のある地は平らに」という言、「険しい地は平地になれ」という言葉がでてきます。
私も持病があって、筋肉が衰えていますので、階段がきついのです。小岩や下北沢のこの場所はわりと平地なので楽です。
裁きのメッセージは、感情的な上下が激しいのではないでしょうか。イエスさまが登場した時に、ヨハネの厳しい裁きの福音を聞いていた人は、その人をありのままに受け入れてくださる主イエスのメッセージに感動したはずです。それが5節にある「主の栄光」です。私たちは今、クリスマスを目指して歩んでいます。クリスマスは冬至です。これからは夜の時間が終わり、昼間の時間が長くなるのです。まさに主イエスの到来を堺に、闇が退き、主の栄光が現れるのです。主の栄光が現れる時、すべての満ちは平になるのです。
⑦メッセージの内容
イザ 40:6 「呼びかけよ」と言う声がする。/私は言った。「何と呼びかけたらよいでしょうか。」/「すべての肉なる者は草/その栄えはみな野の花のようだ。
イザ 40:7 草は枯れ、花はしぼむ。/主の風がその上に吹いたからだ。/まさしくこの民は草だ。
ここにも、「呼びかけよ」と言う者の声がでてきます。これは誰の声かは記されていませんが、一般的に言えば神の声ですね。イザヤは「何と呼びかけたらよいでしょうか」と語ります。その時に与えられたメッセージが6節の後半から8節まで語られています。
「すべての肉なる者は草/その栄えはみな野の花のようだ。草は枯れ、花はしぼむ。/主の風がその上に吹いたからだ。/まさしくこの民は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。/しかし、私たちの神の言葉はとこしえに立つ。」
それはまさに私たちの人生そのものでもあります。老いと共に歩むことは、時に残酷であり、時に自分にかなっているものではないかと思います。
皆さんはエントロピーの法則ってご存知ですか。宇宙には始まりがあると言われています。それがビッグバンで生まれたという人もいます。私たちは神が創造したと信じているのですが、エントロピーの法則は、宇宙に生み出されたものをすべて退化するという法則です。これは認めたくないのですが、ある程度当てはまります。でも進化しているものもあるので完全な真理ではありません。
よく小嶋さんが、私も年をとったので、いつまで生きれるかわからない。明日足が動くかわからない。今日祈祷会の帰りに、この人を訪問しなさいと神さまに言われたらそのようにすることにしているというのです。そのことの意味が少しわかってきたように思います。
一つ言えることは、時間があった時には後回しにしていたことを、もうこの時でないと出来ないと思って行うことの大切さですね。
⑧神の言葉は永遠に立つ
イザ 40:8 草は枯れ、花はしぼむ。/しかし、私たちの神の言葉はとこしえに立つ。」
この移りゆく生活の中で、皆さん、神のことばは永遠に立つのです。私たちの毎日きくみことばこそ信頼にあたいするものです。この宣言は、とてつもない大きなメッセージを含んでいるのではないでしょうか。なぜならば主イエスは世の終わりまで共にいてくださるからです。私たちは本日の永遠なる主の言葉を聞きました。それは希望の言葉です。神さまはこのクリスマスに素晴らしいことをしてくださるのです。
詩 102:26 かつてあなたは地の基を据えられました。/天もあなたの手の業です。
詩 102:27 天地は滅びるが、あなたは立っておられます。/これらはすべて、衣のように朽ち果てます。/あなたが上着のように取り替えると/これらは消え去ってしまいます。
詩 102:28 しかし、あなたは変わることなく/あなたの歳月は終わることがありません。」
詩 102:29 あなたの僕の子らが住まいを得/その子孫が御前に堅く立てられますように。
神さまは永遠に生きておられるお方です、私たちは有限であり、この世の様々なものに翻弄されます。しかし、主は、地の基を据えられた方であり、28節にあるように固くたって私たちを見つめていてくださるのです。私たちにとって、この絶対的次元の存在はとても大きく重要ですね。この世の何がきても動かされない、信頼できる方がおられるのです。イザヤもそのことを語っています。
⑨クリスマスを迎える備え
イザ 40:9 高い山に登れ/シオンに良い知らせを伝える者よ。/力の限り声を上げよ/エルサレムに良い知らせを伝える者よ。/声を上げよ、恐れるな。/ユダの各地の町に言え。/「見よ、あなたがたの神を。」
イザ 40:10 見よ、主なる神は力を帯びて来られ/御腕によって統治される。/見よ、その報いは主と共にあり/その報酬は御前にある。
イザ 40:11 主は羊飼いのようにその群れを飼い/その腕に小羊を集めて、懐に抱き/乳を飲ませる羊を導く。
今年も私たちは賛美をもって主イエスの誕生日をお祝いします。キャロリングで神さまの降誕を知らせる声をあげます。力の限り、主のために奉仕をしましょう。その時に10節にありますように、クリスマス礼拝やキャンドルサービスで主は栄光を見せてくださることを信じます。下北沢教会が何よりも主が統治してくださっている教会です。11節にあるように主は私たちの羊飼いです。そのことを覚えて福音を伝えていきましょう。
もういくつ寝るとお正月という歌は皆さんも御存じですよね。クリスマス後の楽しみは紅白と正月ですね。子どもの頃わくわくして待ち望んでいました。同じようなわくわく感をもってクリスマスを待ち望みましょう。
⑩ヘンデルのメサイア
イザ 40:1 「慰めよ、慰めよ、私の民を」/と、あなたがたの神は言われる。
ヘンデル作曲のオラトリオ「メサイア」は、聖書のみことばだけを何の解説もなしに歌いながら「救い主」の意味を伝えていますが、この言葉がオラトリオ「メサイア」のもとになったのです。その箇所がこの40章の1節です。
第一部で「慰めよ、慰めよ、わたしの民を: Comfort Ye、 comfort ye、 my people」とテナーで歌われます。
第二部は十字架が悪の力への勝利として描かれてハレルヤ・コーラスで終わり、第三部はイエスの復活を私たちの復活に結びつけるテーマが歌われます。
そこには世界を再創造する「救い主」の姿が描かれています。
「慰める」には本来、「深く呼吸する」という意味があり、それは「哀しみ」「あわれみ」とも訳され、「同情」というより「励まし」の意味が込められています。まさに、神の「深い息」から生まれる「慰め」には、人の呼吸を助け、新たな活力を生み出す力が込められているのです。
⑪声に満ちたイザヤ40章
①イザ 40:2 「エルサレムに優しく語りかけ/これに呼びかけよ。/その苦役の時は満ち/その過ちは償われた。/そのすべての罪に倍するものを/主の手から受けた」と。
②イザ 40:6 「呼びかけよ」と言う声がする。
③ イザ 40:9 高い山に登れ/シオンに良い知らせを伝える者よ。/力の限り声を上げよ/エルサレムに良い知らせを伝える者よ。/声を上げよ、恐れるな。
今年のクリスマス、私たちを救うために来られたイエスさまに慰めを受け、救いを知り、その救いをしっかりと伝えていこうではありませんか。






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