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8月17日(日)礼拝説教 マタイ9章35~38節 働き人募集

  • shimokitazawanazar
  • 1 日前
  • 読了時間: 11分

働き人 募集!    マタイ9章35~38節


①はじめに

 皆様、おはようございます。猛暑が続いております。お気をつけください。本日もマタイによる福音書から学びます。先週は憐れみの福音と題して、主イエスさまが罪人や病人たちと食事を共にして憐れみを施された場面を学びました。座っていた徴税人マタイがイエスに見つめられ、立ち上がっていくことができた物語から学びました。今週は働き人、募集!と題してお話しますが、先週習字を玄関のところに貼っていまして、もし働きたいのですがって来たらどうしようと思っていたのですが、どなたもお見えにはなりませんでした。イエスさまにはマタイをはじめたくさんの働き人がいました。


 本日の箇所の35節をみますと、イエスさまが町や村を巡って福音を伝え、癒しをなさった姿が描かれていますし、また36節には「また、群衆が羊飼いのいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」とありますように、マタイ9章のキーワードが出てきます。それは「深く憐れまれた」という言葉です。何度も申していますが、これは、自分は無関係な高い所にいて、苦しんでいる人々を「かわいそうに」と見下ろしているような「憐れみ」ではないのです。自分自身のおなかが痛むような、そういう真剣な同情をもって主イエスは人々の様子をご覧になったのです。同じ痛みを共有するような痛みです。その深い憐れみの思いによって主イエスは、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いを癒されたのです。イエスさまは、本当に優しいお方です。同情心に溢れ、はらわたがよじれるような思いで、他の人の痛みを自分のものとし、その痛みを見つめ、癒し、立ち上がらせます。


②本来の姿でない羊たち

 また36節には「「また、群衆が羊飼いのいない羊のように」という言葉がありますね。 主イエスの目線の先には「羊飼いのない羊」のような群衆がいて、弱り果て、打ちひしがれている姿がありました。本日交読しました詩編23篇には「「主は羊飼い。わたしには何も欠けることがない」とあります。イスラエルの民はずっと羊飼いなる主に守られて養われてきた民であるという自覚がありました。自分たちは羊の群れだと意識するということは、自分たちを守り導いてくれる羊飼いがおられる、ということが前提なのです。だから「羊飼いのいない羊」というのは、異常な、そして悲惨な状態です。飼い主なしには羊たちは生きていくことができず、弱り果て、打ちひしがれてしまうのです。主イエスは本来の姿でない羊たちをみて憐れまれました。


③憐れみの緊急性 

 この時イエスさまは、もう一つのことに気がつかれました。弱り果て打ちひしがれている羊を救うことは緊急性を要することだったのです。それは深く憐れまたという言葉からも知ることができます。日本は近年、様々な災害を経験しました。先週も月曜日に熊本で線状降水帯ができて、河川氾濫が起こりました。物資を届けたりすることは緊急に行われなければなりません。人々の逼迫している状態を見てイエスさまは働き人を募ることを決意されます。


④いつもとは違う募集方法!

 イエスさまは、共に働く働き人を募集されます。そして12人の弟子を選ばれるのです。ただこの弟子たちは、普通の弟子ではありませんでした。通常、弟子となるには、人間の方が師を選び、頼みこんで弟子となるのが一般的です。昔はよく、何日も座り込んで必死に頼んでやって許可されるということがあったと聞いています。しかし、イエスさまの弟子の場合、まず弟子を選んだのはイエスさまの方でした。これが全く違うことです。キリスト教の働き人の場合には、神さまの方から召してくださるのです。その召しの仕方はそれぞれ独自ですが、かなり強引に感じる場合がほとんどです。ペトロの場合は「人間を取る漁師になりなさい」でした。他の弟子の場合も「私についてきなさい」でした。マタイもそうでしたよね。座り込んでいたマタイに「私に従いなさい」と彼をじっと見つめて招いてくださるのです。神さまが私たちを選んでくださり適材適所で私たちを用いてくださるのです。


④イエスさまの弟子12人

イエスさまの弟子12人をよくみるとそこには様々な人が入っていることに気づきます。


マタ 10:2 十二使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、

マタ 10:3 フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、

マタ 10:4 熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。

 この中には漁師もいれば、徴税人もいました。その徴税人は一般の人からみれば罪人の側に立っている人間でした。またイエス様の弟子の中に熱心党のシモンがいました。熱心党は今でいうと過激派と呼ばれていた人たちです。このような視点からみれば、イエスさまは体制側にいた方ではないということがよくわかります。そして自分を裏切ったユダを選んだのもイエスさまであるということになります。


⑤12弟子を解説します(パワポあり)

 ①ペトロと呼ばれるシモン 主にローマで布教。イエスから天国の鍵を授かりカトリック的には初代教皇ということになります。ローマ皇帝ネロの迫害を受け、逆さっはりつけの十字架刑にて殉教しました。

 ②シモンの兄弟アンデレ ペトロと同じく漁師でした。主にアジアやギリシアで布教。ローマ総督アイゲアテスにより投獄。X字型の十字架で処刑され、殉教。

 ③ゼベダイの子ヤコブ 大ヤコブと呼ばれています。初期エルサレム教会の中心的存在。スペインで伝道後、エルサレムに戻るがヘロデ王に捕らえられ、斬首されて殉教。

 ④兄弟ヨハネ 漁師でした。アジアに宣教に向かうが、ローマ皇帝に捕らえられ、パトモス島に流刑。聖書の最後を飾る「ヨハネの黙示録」を記した。

 ⑤フィリポ バルトロマイの友人、漁師 ヨルダン川の岸辺でイエスに出会いました。イエス一行の食糧調達係。ギリシャやフリギアで布教した後、殉教しています。

 ⑥バルトロマイ ナタナエルとも呼ばれます。ガリラヤ、カナ出身 フィリポに導かれ12弟子に。イエスに「真のイスラエル人」と賞賛される。広い範囲で宣教活動し、アルメニアで殉教しました。

 ⑦トマス 漁師または大工。イエスの復活を疑ったことから「疑心のトマス」と呼ばれる。本日の最初の賛美歌で歌った時にでてきた人物です。東方に渡って布教活動に励み、南インドで殉教。

 ⑧徴税人マタイ アルファイの子マタイとも呼ばれます。各地で布教を行い、エチオピアまたはトルコのヒエラポリスで殉教。新約聖書の最初(巻頭)の書「マタイによる福音書」の著者。

 ⑨アルファイの子ヤコブ(小ヤコブと呼ばれています)マタイと兄弟 イエスの埋葬を手伝った敬虔な弟子。宣教に命をけずり、イスラエルの神殿で殉教しました。

 ⑩タダイ 小ヤコブの兄弟または子です。聖母マリアの妹クロパの子と言われている。アルメニアで布教活動を行なう。斧で殺害され殉教しました。

 ⑪熱心党のシモン 反ローマ帝国の過激派組織熱心党のメンバー 熱心党は過激派でローマからの解放を暴力によって達成しようとしていた人たちです。

エジプトで布教後、タダイと共にペルシアとアルメニアで布教。ペルシアで鋸で2つに切られて殉教。

 ⑫イスカリオテのユダ イスカリオテ出身

殺害をたくらむ反イエス派に銀貨三十枚と引換にイエスを裏切ります。その後、後悔して自殺しました。しばしば、裏切り者の代名詞になりました。

⑬マティア イスカリオテのユダの後任

イスカリオテのユダの後任として、12使徒となる。伝承によると、石打ちの刑さらに、斧で斬首されて殉教したと言われています。


⑥弟子の覚悟

 ご覧いただいたようにほとんどの人々が殉教しているのですね。ここからもみても弟子たちには弟子としての覚悟が必要でした。

教会はまず、エルサレムで誕生しました。その後、パレスチナから、小アジア(=現在のトルコのアジア部分)、ギリシャへと広がります。12使徒や伝道者たちは、激しい迫害を受けながらも、命がけの伝道活動を行ないました。

 さらには、世界の中心といわれていたローマ帝国にも、イエスさまの教えは広まっていきました。当時、ローマ帝国は全盛期を迎えており、皇帝を神格化する「皇帝崇拝」が根付いていました。皇帝を崇拝しないキリスト教徒は異端視され、迫害を受け、殉教することも少なくありませんでした。12使徒のうち、ヨハネ以外の11人は、殉教したと伝えられています。

 その後、12使徒たちも予想しなかった形で事態は急展開しました。313年、ローマ皇帝コンスタンチヌスによるミラノ勅令により、長年、キリスト教徒を迫害してきたローマ帝国が方針を転換し、キリスト教が公認されたのです。さらに、392年には、ローマ皇帝テオドシウスにより、キリスト教がローマ帝国の国教となりました。

  私はこのことが実現したのも、殉教していった弟子たちの存在、そして名も知ることのできない多くの人々が命をかけてキリスト教というものを守った結果であると思います。


⑦収穫は多い

話を元に戻します

マタ 9:37 そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。

マタ 9:38 だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」

この収穫とは、神がまことの羊飼いとして人々をご自分のもとに集め、養い、導いて下さることです。その収穫は「多い」と主イエスはおっしゃるのです。今よりもっともっと多くの人々が、飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているところから、主イエスによって神のもとに連れ帰られ、主なる神の牧場で養われ、導かれ、守られる羊となるのだと、主は約束して下さっているのです。「収穫は多い」とは逆に言えば、それだけ苦しんでいる人がおられる。その人たちの多さに比べれば働く人が少ないということです。

 しかしそのためには「働き手」が必要です。もっと多くの働き手が立てられることによってこそ、多くの人々がまことの羊飼いである主イエスのもとに集められるのです。だから、その働き手を送ってくださるように、収穫の主である神に祈れと主イエスは言われます。私たちに求められているのもこの祈りです。「収穫は多い」という主イエスの約束を信じて、神がもっと多くの人々を、主イエス・キリストの救いにあずからせ、主に養われる羊の群れに加えて下さるように、そのための働き手が起されることを私たちも祈っていくのです。


⑧ジョン・ウェスレーと組会

ジョン・ウェスレーの話ばかりしてすみませんが、ジョンはメソジストソサエティを英国教会の中に作り、信徒説教者を用いて巡回しました。ここに銅像を持ってきましたが、私が大切にしているジョン・ウェスレーの旅の姿です。ジョンはこのようにして巡回旅行をし、メソジストのソサエティを網の目のように国中に張り巡らし、それで国教会を改革し、教会の手の届いていない人々を見いだし、伝道しました。スモールグループを活用し、大小中のグループ分けをして、相互牧会を奨励しました。メソジストコネクションをつくりあげたことが、成長の鍵でした。それが大きな影響力を生み、リバイバルが起こり、英国教会から独立してメソジスト教会になっていくのです。そこから宣教師が送られ、青山学院大学ができるのですね。


⑨ニネベの悔い改め

 この神さまの召しは誰にでもきます。皆さんにも来ます。そしてヨナにも召しがきました。ヨナ書3章をお開きください。


◆ニネべの悔い改め

ヨナ 3:1 主の言葉が再びヨナに臨んだ。

ヨナ 3:2 「さあ、立って、あの大いなる都ニネベに行き、私があなたに語る宣告を告げよ。」

ヨナ 3:3 ヨナは立って、主の言葉に従い、ニネベへと向かった。ニネベは非常に大きな都で、一回りするのに三日かかった。

ヨナ 3:4 ヨナはまず都に入り、一日かけて歩き、「あと四十日で、ニネベは滅びる」と告げた。

ヨナ 3:5 すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、大きな者から小さな者に至るまで粗布をまとった。

 ヨナは神さまからある時に召しを受けます。ニネベへの宣教命令でした。それもかなり切迫しています。残された猶予期間は40日なのです。ところがヨナにはその召命に応えるのに躊躇がありました。ニネベの町の人々は悪い人々なのだから滅びる方がよいと思っていたのです。しかし、神さまの説得を受けて再び伝道に向かうのがこの3章です。

 大切なのは、ヨナが自分でこのことを志願したのではなく、神さまの召しに応えたことです。そして 彼は今回は意を決して悔い改めを語ります。一回りするのに3日かかる町を歩きながら、「あと四十日で、ニネベは滅びる」と語りかけたのです。その結果、人々は神を信じ、粗布をまとい神さまに憐れみを請うことが起こったのです。

 

⑩神が私たちを遣わしてくださる。

 私は今牧師としてこのように仕えていますが、「私が収穫のための働き手となります。私を遣わしてください」と祈ったわけではありません。そんな大それたことは誰も祈れないのです。しかし、「収穫のために働き手を送ってください」と祈る中で、「私はあなたを選び、遣わす」というみ言葉を聞いたのです。

「収穫のために働き手を送ってください」と祈っていく中で私たちは、もし神が自分をお用いになるなら、何もできない者だけれどもそのみ心に従います、という信仰を養われていくのです。だから、「収穫のために働き手を送ってください」と祈ることが求められているのです。そのように祈っている者の中から、収穫のための働き手が立てられていくのです。その神の選び、声かけは、いつ誰に与えられるかわからないのです


⑪牧師になるだけが召しではない

十二人の弟子たちが選ばれたのは、「汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった」とあります。あらゆる病気や患いを癒すことはできないかもしれませんが、病気や患いにかかっている人を励ますことは私たちにできます。神さまの業は私たちの日常の中にあるのです。そこで必要なのが憐れみの心を持つということです。人と共に苦しみ、人の気持ちの自分の気持ちを沿わせながら、はらわたのよじれる痛みを分かち合うことこそ私たちの宣教なのです。主の憐れみの心を持ちつつ今日も主の宣教を行いましょう。今下北沢教会は皆さんの力が必要です。皆さん一人一人の存在が尊く大切なのです。共に主の体である教会をつくりあげていきましょう!!




 
 
 

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